障がい者は意外とそばにいる
今時商業施設に障がい者用駐車場がないとろこなんてないですね。
それくらい世の中には障がい者の方がいて、普通に暮らしていて、ハンデはあるけどそんなに特別なことではなくなってきました。
特に私には、幼い頃から身近な存在でした。
小学校に上がったとき、担任の先生に言われたことを覚えています。
「2組に耳の聞こえない子がいます」
小学一年生には衝撃的な言葉でした。
その子は小学校の目の前が自宅で、親御さんの意向で小学校だけは普通校に通うことになったそうです。入学までにだいぶ揉めたそうです。
両耳に補聴器をつけた、生まれつき耳が聞こえなためしゃべることもできない男の子でしたが、ちょっと話しかけ方に気をつければいいだけの、普通の男の子でした。子供のコミュニケーションには手話なんて必要ありませんでした。
中学の頃仲良くなった女の子の自宅に遊びに行ったとき。
「うちの妹は障がい者。特別な目で見るなら遊びには来ないで」
彼女はお姉ちゃんとして、妹を好奇の目で見られるのを避けたかったようです。やさしいお姉ちゃんです。
「大丈夫。どういう接し方したらいい?」
妹さんは障がい者の中でも生まれつき原因不明の障害で、耳は聞こえても話すことはできない、知能も5歳くらいで止まってしまっている子でした。美少女でした。
お土産に大好物だというコーヒー牛乳をあげると、とても喜んでくれました。
そして一緒にアンパンマンを見ました。
そのお姉ちゃんもてんかんという病気があり、林間学校の際に発作を起こし、大騒ぎになったことがあります。
高校卒業して上京すると、あちこちに障がい者の方はいました。地元とは人口密度も福祉制度もまるで違う大都会。電車に乗ろうとしたとき、白杖を持った子がいたので手を貸しました。目的地が同じだったので、そこまで一緒に行きました。
バンドの追っかけをしているとき、メンバーさんに
「黒のエスティマ来たら教えてくれ!」
と頼まれました。エスティマ乗ってきたのはメンバーさんの親友で、車椅子移動をしなければならなかったのですが、ライヴハウスは地下で、エレベーターなんかないからとメンバー数人で抱えて地下まで下ろしてあげていました。
なんの気負いもなく、当然のこととして。
ふと思い出すと、自分の祖父も戦争で片目を失明していました。
いまも近所の犬仲間さんに、軽い知的障害のある女の子がいます。
小学生の頃からよく周りを見渡すと、足に補助器具を着けていなければ歩けない子もいたし、工場で働いていて事故で指が何本かなくなってしまったという人もいました。
そして、私も。
統合失調症となり、精神障碍福祉手帳2級です。
さらにこちらは障がい申請はしていませんが、右目がほとんど見えていません。
眼鏡を愛用しているのですが、右目を見えるようにしようとすると、どうしても気持ち悪くなってしまう。なので、遠近感だけ取れるように調節して生活の中ではほとんどのものを左目だけで見ています。
先天性、後天性はあれど、障がいの違いや生活での不便さに違いはあれど、みんなたくさんの人に支えられながら一生懸命生きています。
特別なことじゃないのです。
大人になるまで健常者としか接していないと、「ああ障がい者なのね。大変ね」とは思っても近づいて助けようという気持ちになる人は少ないようです。
どうしていいかわからないから。
だから、私は小学校の時の耳の聞こえない彼に感謝しています。
あなたが教えてくれたこと。
「障がい者はこわい人でもないし、罪人でもない。普通のひとだよ」
だから私も障がい者として認定されたときにショックを受けずにすみました。
困っているひとを見たら手を差し伸べずにはいられない人間になれました。
私は、私が出会ったすべての障がい者さんに感謝しています。
たくさんのことを教えてくれてありがとう。