今日は私の話をしようか
うつ病についての説明もあらかた上っ面くらいは終わったので、ここで私の話をしようと思う。
私はうつ病発症からすでに13年経っている、うつ病と統合失調症の合わせ技。
発症時は一人暮らしをしていたが、継続不可能になり実家に帰った。
私の両親は私が4歳の頃から別居し、私が中学に上がったと同時に離婚した。
母親と兄と三人で暮らしていたが、私が高校卒業と共に上京することを決めた。
「あんたがいなくなったら誰がこの家のことをするのよ!」
と毒親の典型なようなことを母は言っていた。知らんがな。
順風満帆に東京生活を楽しんでいたが、20歳のときに髄膜炎という病気になって死線を彷徨った。頭上で医者が「これは・・・助かるかなぁ・・・」とつぶやいていた。聞こえてますよ。
それくらいやばかったらしいが、私は自分でタクシーを呼んで外来で受付して、長い待ち時間に耐えてやっとの診察であっという間に入院が決まった。
このとき、脳の外側へのダメージがでかかったらしい。統合失調症のきっかけになったのはこの髄膜炎だろうと推察している。
うつ病発症後母のもとに戻ったが母は無関心だった。
半年後、父方に移住。祖母があれこれ面倒を見てくれたが、その祖母も末期ガンですぐ亡くなった。その半年後には祖父も亡くなった。
ということで見事父ひとり娘ひとりの家庭が出来上がった。
父は本を読んだりしてうつ病について勉強したらしいが、よくわからなかったらしい。
そして家事全般を私の仕事とした。
料理はできるはずなのにしんどくて無理。スーパーのお惣菜が続いた。
洗濯だけは溜まっているのが許せなくて自力でなんとかした。
掃除はめったにしなかった。
眠って眠って、一日14時間くらい平気で寝た。
25くらいの時に拒食で入院。
その後も閉鎖病棟に入れられそうになり、大暴れして結局入院せず帰宅したり。
かと思えば突然大阪に逃亡したりした。
数年に一回は東京の友人たちに会いにも行っていた。
最後に東京に行った際、友人に言われた。
「あんた、いつまで親のスネ齧って甘えてるつもり?」
医療従事者の友人の言葉だった。
そこで「ああ、もうここには友達はいないんだ」と感じた。それ以来東京には行っていない。
地元の友人も結婚した。長年の夢であったディズニーランドでの結婚式をやったらしい。私は行けなかった。
そしてスマホのアドレス帳から友人がどんどん消えた。
フェイスブックのアカウントも消した。
以前フェイスブックを使って同窓会のお誘いが来て、引きずられるように参加させられた。とても居心地が悪かった。
精神科病棟で働いているというパパになった同級生に「うつの人がどうしてほしいのかが理解できない。どう対処するのが最善なのか、教えてほしい」と相談を持ちかけられ、酒を飲みながら延々その話をした。
私は自分がうつ病であること、統合失調症患者で精神障害者であることを隠したことがない。父も普通に職場で私の話をするときは「娘は精神病だから」と前置きする。
隠す必要性を感じないからだ。
今時「恥ずかしい」だの「情けない」だの言うほうがおかしいというのが父子の意見が珍しく一致しているところである。(基本的には気が合わない父子)
4歳のときに出ていって、23歳で再び「親子」を再開させた。
当然性格や意見の不一致もある。お互いに不満は有りまくる。喧嘩もかなりする。
一度ガチの殴り合いになって、私は父の肋骨に蹴りでヒビをいれた。あのときはサーセンでした。
父は「娘に手を挙げる」ということに躊躇いがあったらしい。けれどそれを機に遠慮がなくなった。次に喧嘩したときボコボコにされて翌日動けなかった。容赦ない。
そんな父だが、私の通院に同行できない(平日だから)というのをずっと気にしていて、知り合いに相談しまくった結果今お世話になっている病院への転院の話を持ってきた。土日メインのちょっと変わったクリニックだ。
そこへ父と通うようになり、不満があればドクターを通して不満をそこにぶちまけるようにした。1対1で不満をぶつければ、また暴力沙汰になるからだ。ドクターいい迷惑である。
でもそうするようになって、すこしは症状が楽になってきた。
私のリハビリは基本「ヒトカラ」である。
とにかく人目を気にせず大声を出す。4時間ずっと。
疲れ果てて翌日起きれなかったりもするけれど、これが結構効く。
一昨年の一月。
私が父のもとに来てすぐ飼い始めた愛犬が亡くなった。
そしてすぐ父がペットロスになった。本人は気づいていなかった。
小さなミスを連発するようになり、とうとう会社をクビになった。
幸い再就職先はすぐ決まり、それと同時にまた犬を飼い始めた。
父子二人では共通のものがないので、話題がない。愚痴ばかりになるのだ。
私はいま、その犬に振り回される生活を送っている。しんどい・・・
犬のおかげで掃除は欠かさないようになった。
怒ることも増えた。
でも時々やさしい気持ちにもなれるようになった。
家族らしい家族には恵まれなかった。
おまけに一生付き合わなければならないような病気になった。
好きなことはできないし、行きたいところにも行けないし、というかやりたいことも特になくなった。
裕福なわけじゃないし、自由でもない。
けれど時々、近所の子供が親と喧嘩したりして相談してきてくれるようになった。
結局はママと仲直りしたいけど、その前に不満がありすぎてすぐにごめんなさいが言えないと相談してくる。5歳児が。
子供と話をするのが苦ではなくなった。もとは大の子供嫌いだったのに不思議だ。
ゆっくり話を聞くと、子供は子供なりに意見を持っていて、自分を持っていて、やさしさも持っている。そのことに驚かされる。あの小さかった子が、ここまでしっかりした意見を持つようになったのかと。
子供らしい子供時代をおくってこなかった私には驚くことばかりである。
それくらいの時が流れてしまった。
暗黒の20代を過ごし、疲弊と疲労の30代をおくっている。
40代にはなに起こるかわからない。
もしかしたら死ぬような大病をまたするかもしれないし、もしかしたらうつ病が寛解するかもしれない。
先のことは考えない。
目の前の問題だけを一個ずつ片付けるしか、いまの私にはできない。そんな力はないのだ。
けれどよく考えたら、それは誰も同じで。
未来はわからない。
だから明日が来るのが怖かったりする。
それを怖がるのではなく、ただ自然と受け入れられるようになるまで何年かかっただろう。
ここのブログを読んでくださっている方々には、どうかその瞬間がはやく訪れることを祈るばかりである。